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福岡地方裁判所小倉支部 昭和53年(ワ)1024号 判決 1983年2月07日

原告

島勝彦

島須美礼

右法定代理人親権者

島勝彦

右両名訴訟代理人

吉野高幸

田邊匡彦

被告

梶原保

右訴訟代理人

小柳正之

主文

一  被告は、原告島勝彦に対し、金一一〇万円及び内金一〇〇万円に対する昭和五三年一一月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告島須美礼に対し、金二二〇万円及び内金二〇〇万円に対する同日から支払済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者が求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告島勝彦に対し、金一〇〇〇万円及び内金九〇〇万円に対する昭和五二年三月三一日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告島須美礼に対し、金二〇〇〇万円及び内金一八〇〇万円に対する昭和五二年三月三一日から支払済まで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告島勝彦(以下、「原告勝彦」という)は、訴外亡島幸子(以下、「幸子」という)の夫であり、原告島須美礼(以下、「原告須美礼」という)は、原告勝彦と幸子との間の子である。

(二) 被告は、肩書住所地で梶原医院を経営している内科医師である。<以下、事実省略>

理由

一請求原因1(一)、(二)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二被告の診療経過

1  請求原因2の事実のうち、幸子は、梶原医院に看護婦として勤務していたが、昭和四九年四月二〇日、数日前から空腹時に軽度の上腹部痛があるとの主訴で被告の診療を受け、レントゲン撮影検査等の結果、胃かいようと診断されたこと、その後幸子は、被告から投薬、注射等の治療を受けていたが、昭和五一年四月一七日、あらためてレントゲン撮影検査を受けたところ、再び胃かいようと診断され、更に同年六月六日にもレントゲン撮影検査に基づく診断がなされていること、幸子の病状はその後も改善せず、以前にも増して腹部痛、疲労感を訴えるので、同年一〇月一日、豊前検査センターで精密検査を受けたところ、胃ガンの疑いがあり早急に手術を要する旨診断され、同月五日、幸子は、北九州市立小倉病院に入院し、同月二八日胃の切除手術を受けたが、翌五二年三月三〇日、大分県山香町立山香病院において、胃ガンのため死亡したことは、当事者間に争いがない。

2  前示当事者間に争いがない事実と<証拠>を総合すると以下の各事実が認められ<る。>

(一)  被告は、昭和四九年四月二〇日撮影のレントゲン写真では、胃前庭小弯部にはつきりとしたニッシェ(壁創)を確認することができなかつたものの、同部位に限局した圧痛が認められたため、幸子の病名を胃かいようと診断し、同女に対し、胃液中和作用、胃けいれん抑制作用、胃粘膜保護作用、胃腸鎮定作用、胃液分泌抑制作用を有する抗かいよう薬(薬品名―ガストロフィリンA、アランタ、ネオユモール、バルピン)を与えるとともに、同年五月四日の診察の際には、休養を十分にとり、食事はよくそしやくして食べるよう療養指導した。

(二)  その後も被告は、引き続き同様の投薬治療(但し、昭和五〇年一〇月二五日には、幸子が吐気を訴えたため、神経安定剤であるトレステン及びけいれん鎮静作用、胃液分泌抑制作用を有するブスコバンを与え、また昭和五一年一月一〇日以降は、前記バルピンを、ほぼ同様の作用を有するスパルメックスに代えて、服用させている)、療養指導を継続したが、幸子の病状は改善せず、依然として、断続的に胃膨満感、上腹部痛を訴え続けていた。

(三)  ところが昭和五一年四月一七日ころに至り、幸子の上腹部痛が激化し、被告は、同日あらためてレントゲン撮影検査を実施したところ、その写真により、胃角小弯部にニッシェが生じていることを明確に確認することができた。そこで被告は、幸子の病名を胃かいようと確定診断したうえ、同年五月四日からは、抗かいよう治療として、前同様の投薬治療に加えて、あらたにPLP注射(胃壁の損傷回復を促し、肉芽形成を促進する作用がある)を実施した。なお、被告は、この時点においては、まつたく胃ガンを疑わなかつた。

(四)  被告は、幸子の病状がなお続いており、また前記の治療効果を確認するためもあつて、同年六月六日、再度レントゲン撮影検査を実施したが、その写真によれば、前記胃角小弯部に生じていたニッシェが消失したことが確認され、被告はその旨を同女に話した。そして、その後も前記各医薬に、大脳視床下部に作用する胃かいよう薬であるドグマチールを加えた投薬治療並びにPLP注射を継続した。

(五)  ところが同年九月に至り、幸子の上腹部痛がますます激化し、被告は、九月一三日鎮痛剤であるアバピラ、けいれん抑制作用を有するエスペランを、また同月二一日には、胃粘膜保護作用、けいれん抑制作用等を有するユーナイン、消炎作用を有するマーズレンSといつた医薬を投薬し、幸子に対し、専門医による精密検査を受けるよう強く指示した。そこで幸子は、同年一〇月一日、豊前検査センターにおいて精密検査を受けることとなつた。

三幸子の胃切除手術と死亡

前示当事者間に争いがない事実と<証拠>を総合すると、以下の各事実が認められ<る。>

1  昭和五一年一〇月一日、幸子は、豊前検査センターにおいて、被告が依頼した赤星某医師により精密検査を受けたが、その結果、同医師は、幸子が胃ガンに罹患していると診断し、被告に対し、その旨を告げた。そこで同月五日、幸子は、北九州市立小倉病院に入院し、しばらくして、幸子の病変がかなり進行した胃ガンであることが同病院の医師から原告勝彦に対して告げられ、同原告は、初めて幸子が胃ガンであることを知つた。

2  幸子は、同月二八日、同病院において胃切除手術を受け、その際、肉眼で視認できる範囲の病巣はすべて切除され、手術自体は一応成功し、同年一一月下旬ころ同病院を退院したものの、翌五二年三月三〇日、再入院先である大分県山香町立山香病院において、右胃ガンのため、死亡した。

四被告の責任

1  請求原因3の事実及び被告は幸子に対し、本件診療契約に基づき、その当時における医療水準に照らして、適切かつ十分な診療行為をなすべき債務(以下、「本件診療債務」という)を負担していたことは、当事者間に争いがない。

2  そこで、以下、被告に右債務の不履行があつたか否かについて判断する。

まず、原告らは、被告による診療が開始された昭和四九年四月二〇日の時点において、被告は幸子が既に胃ガンに罹患していたことを現認できた旨主張するので、この点につき検討する。

鑑定人児玉好史の鑑定の結果(以下、「児玉鑑定」という)、<証拠>によれば

(一)  同日撮影のレントゲン写真には、幸子の胃角部小弯にニッシェが認められ、その周囲にはある程度の幅をもつた辺縁の隆起が認められ、これがかいよう形成を伴う胃ガンにみられる周堤である可能性を完全には否定しえないこと

(二)  幸子の死因となつた胃ガンは、右昭和四九年四月二〇日の時点においてニッシェの存在が疑われた箇所とおおむね一致する箇所に生じたものであること

(三)  良性の胃かいようが胃ガンに転化する確率は、非常に低いものであるとの見方が定着するすう勢にあること

以上のとおり認められる。

しかしながら、児玉鑑定によれば、右時点における所見からまず考えられるのは慢性活動性胃かいようであり、右(一)認定のニッシェも、活動性胃かいようの特徴的所見であり、その周囲の隆起も良性かいようの周囲にしばしば認められる浮腫によるものである可能性もあり、胃ガンとの判別は困難であることが認められるのであるから、昭和四九年四月二〇日時点において、幸子が胃ガンに罹患していたことを現認できたとする原告の右主張は採用できない。そして、当時幸子が満三〇歳で、胃ガンの発生ひん度が極めてまれな若年であつたことをも考慮するならば、被告が、幸子を胃かいようと診断し、他の専門医による精密検査を受けさせることなどの処置をとらなかつたのもやむを得ず、これをもつて、直ちに本件診療債務の不履行があつたものと断定することはできない。

3 次に、右昭和四九年四月二〇日以降の被告の処置についてであるが、右のとおり、被告が胃かいようと診断したことがやむを得ないものと認められるから、被告が前記二2で認定した投薬治療を続けたことは、相当な処置と認められる。しかしながら、児玉鑑定及び児玉証言によれば、消化性かいよう患者に対して抗かいよう薬による治療を施行する場合、その治ゆ状況を経過観察し、少なくとも六ヵ月に一回の割合で追跡レントゲン検査をすべきものであることが認められるのに、被告は、前記二2において認定したとおり、昭和四九年四月二〇日以降昭和五一年四月一七日に至るまで約二年間まつたくレントゲン撮影検査をしていない。そうすると、被告が胃かいようと診断しながら、このような長期間にわたつて(児玉証言によれば、右六か月に一回の割合による追跡検査は、許容最大限であり、消化器専門医であれば二か月に一回の割合でこれをすべきとする)追跡検査を怠つたことは、現代の医療水準に照らして、被告のごとき一般医としても誤りであつたことは明らかである。

しかも、児玉証言によれば、右の追跡検査をすべき理由の一つとして、胃かいようの治療をしながらこれが治りにくい場合には、ガンを疑つてその鑑別をすべきことが挙げられており、また前掲甲九号証には、空腹時や食後の鈍痛、胃部膨満感などの胃部不定愁訴が一か月ないしそれ以上頑固に存続する場合には、胃精密検査の対象とすべきであるとの記載があるように、相当期間にわたつて、病状が改善しない場合には、精密検査を考慮しなければならないとされている。そして、前記二2において認定したとおり、幸子は、約二年間被告の投薬治療を受けながら、断続的に胃膨満感、上腹部痛を訴え続けていたのであるから、被告としては、当然幸子に対し、胃内視鏡検査等による精密検査を受けさせるべき義務があつたというべきである。しかるに、被告は、何らこのような処置をとらず、漫然投薬治療を続けたにとどまるのであり、これは、被告の明らかな債務不履行というべきである。

加えて、被告は、昭和五一年四月一七日及び同年六月六日にそれぞれレントゲン撮影検査を実施しているものの、児玉鑑定によれば、同年四月一七日撮影のレントゲン写真では、胃角部小弯に生じたニッシェは、やや縮小しているものの、その辺縁硬化像は拡大しているなど、前回よりもガンを疑わしめる所見に富んでおり、一般医としても、ある程度ガンを疑い、専門医に精査を依頼すべきこと、同年六月六日撮影のレントゲン写真によれば、右ニッシェは認められず、幽門前庭部から胃体下部小弯の小弯線に沿つて約八センチにわたる高度な辺縁硬化像が認められ、これらの所見は、びまん性に拡がる胃ガン、すなわちスキルス胃ガンまたはボルマンⅣ型胃ガンに特徴的所見であり、一般医といえども胃ガンと診断、若しくは専門医に対し、ガンの確定診断のため精査を依頼すべき段階にあることがそれぞれ認められる。しかるに、被告は、依然として胃ガンを疑わず、右の処置をとつていないのであるから、この点においてもまた本件診療債務の不履行があつたことは明らかというべきである。

もつとも、被告は、本人尋問において、右六月六日の時点においては、胃ガンを疑い、幸子に対し、専門医による精密検査を受けるよう指示した旨供述している。しかしながら、被告が真実胃ガンの疑いを持つたのであれば、医師としては、当然、幸子本人や夫である原告勝彦に対し、精密検査を受けるよう説得に努めなければならないのに(事実、前記三1において設定したとおり、一〇月一日の精密検査の際には、被告から豊前検査センターに対して直接検査の依頼がなされている)、被告は、この時点においては何らこのような努力をしていないのみならず、前記二2で認定したとおり依然として、幸子に対し、抗かいよう薬ドクマチールを服用させたり、PLP注射(胃ガンの治療に用いないことは、被告の自認するところである)をしたりして、胃かいようの治療を継続していること、更に、被告は幸子の主治医として、同女を療養に専念させるべき立場にありながら、幸子が昭和五一年八月一三日ころ香港旅行に出かけるのを中止させてもいない(原告勝彦、被告各本人尋問の結果により認める)。このような事実に鑑みると、被告が右六月六日の時点で、果たして真に胃ガンの疑いを抱いたものか大いに疑問があるといわざるを得ず被告人の前記供述は信用できない。

以上の次第であるから、被告には

(一)  昭和四九年四月二〇日以降約二年間にわたつて、レントゲン追跡検査をせず、また幸子に対し、専門医による精密検査を受けさせなかつたこと(以下、「(一)の不履行」という)

(二)  昭和五一年四月一七日及び同年六月六日の時点で、それぞれ胃ガンを疑わず、幸子に対し、専門医による精密検査を受けさせなかつたこと(以下、「(二)の不履行」という)

以上の点につき、本件診療債務の不履行があつたものというべきである。

五因果関係

被告の前記各債務不履行と幸子の死亡との間の因果関係について判断する。

児玉証言によれば、現在では、専門医の場合、胃ガンと胃かいようとの判別は約九〇パーセントの確率で診断がつくものとされていることが認められ、これによると、被告が幸子に対し、専門医による精密検査を受けさせておれば、幸子の病変が胃ガンであるか胃かいようであるか十分鑑別でき、ガンであれば、幸子が実際に手術を受けた昭和五一年一〇月二八日よりも早い時点で、胃ガン切除手術を受けえたであろうことを推認するに難くない。

しかしながら、右推認が許されるとしても、本件においては、なお幸子が死亡の結果を免れえたものとにわかに断定しがたい左記の事情がある。

すなわち、<証拠>児玉鑑定及び児玉証言によれば、以下の事実が認められる。

1 胃ガンには、病理・組織学的に分類すると、浸潤が粘膜下層に達したにとどまる早期胃ガンとそれを越えた進行胃ガンとを区別することが一応可能であり、進行胃ガンであれば、当然早期胃ガンに比べてその予後が不良であること(但し、右の区分は絶対的なものではなく、判別困難な種々の移行型がある)

2 幸子に対しては、昭和五一年一〇月二八日胃ガン切除手術がなされたが、その時点の幸子の胃ガンは、広範囲に広がつたびまん性ガンであり、その深部浸潤は、胃壁全層にわたり、かつ漿膜にまでこれが及んでいたことから、ボルマンⅣ型胃ガン(スキルス胃ガン)と判定される進行ガンであつたこと(なお、前掲甲六号証には、「ボルマンⅢ型と思われる」旨の記載があるが、これは胃切除手術前の検査による診断であるから、何ら右認定を左右するものではない)

3 右胃ガンは、同年四月一七日撮影のレントゲン写真によれば、同時点においても、右浸潤がかなりの大きさに達しており、既に進行ガンであつた可能性が非常に強く、しかも、右写真と同年六月六日に撮影された写真とを対照すれば、この短期日の間に浸潤が急速に拡大した発育速度の速いガンであると考えられること

4 更に、三〇才前後の若年性の女子のガンは、胃ガンの中でも特に悪性度が高く、予後不良のものといわれていること

5 したがつて、五年生存率でみた場合には、仮に昭和五一年四月一七日、同年六月六日の時点で直ちにガンと診断し、胃切除手術を受けたとしても、同年一〇月二八日に右手術を受けた本件事案の場合とあまり差がないであろうこと

以上のとおり認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、幸子の胃ガンは、極めて生存率の低い悪性の胃ガンであつたものと認められ、(二)の不履行についてはもちろん、(一)の不履行と幸子の死亡との間についても因果関係を肯認し難い事情があるというべきである。

また、原告ら訴訟代理人は、以下のようにも主張する。

1  幸子が、早期胃ガンの段階で胃切除手術を受けておれば、死亡の結果を免れえた

2  しかるに本件においては、被告が昭和四九年四月二〇日以降レントゲン追跡検査をしなかつたため、幸子の胃ガンの発生時期、発育状況を解明することができず、原告らが右主張の事実を証明することができなくなつた。右証明不能は、被告の(一)の不履行による証明妨害により惹起されたものであるから、これによる不利益は被告において甘受すべく、右事実についての証明責任は転換されるべきであり、少なくとも裁判所は、妨害により使用できなくなつた証拠方法の重要性を考慮し、他の証拠調の結果及び弁論の全趣旨による心証を斟酌して自由な裁量により、挙証当事者の主張の真否につき判断すべきである。

しかしながら、本件においては、右2の主張を考慮したとしても(但し、証明責任の転換をいう部分は、にわかに左袒することができない)、後記の理由により、未だ1の事実を認めるに十分でない。

すなわち、なるほど<証拠>には、早期胃ガンの段階で手術がなされれば、五年生存率が九〇パーセントの確率であるとの趣旨の記載があり、児玉証言にもこれに副う部分があるけれども、<証拠>には、スキルス(幸子がこの場合に当たることは、前記認定のとおりである)は、早期ガンを臨床的に見逃したために進行ガンになつた終末像ではなく、好んで粘膜下層以下のリンパ管内に浸潤し、胃壁を広範に侵す生物学的に悪性度のきわめて高い胃ガンの特殊型であるとの趣旨の記載もあり、早期胃ガンの統計数値をもつて、幸子の完治の可能性を判定し難いうえ、右九〇パーセントという数値も五年生存率に過ぎず、五年生存したからといつて直ちに死亡の結果を免れうるとまで判断してよいかいささか躊躇せざるを得ないのみならず、<証拠>には、五年以上経過した後の再発例も必ずしもまれでないとの記載もあり、右数値自体疑問がなくはない。

以上説示の理由並びに現時における胃ガンの医療水準、治ゆ状況及びこれに対する一般の認識等を総合斟酌すれば、未だ原告主張の1の事実を認めるに十分でないというほかはない。

以上の次第によれば、被告の前記(一)及び(二)の各債務不履行と幸子の死亡との間に因果関係を肯認し難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。

もつとも、児玉証言及び同鑑定によれば、昭和五一年四月の時点で幸子が直ちに胃ガン切除手術を受けておれば、五年生存率ではそれほど変わらないものの、何か月かあるいは五年のうちで何年かは延命できたこと、更に昭和四九年四月の時点で根治手術がなされておれば、かなりの延命が期待できたかもしれないことが認められ、これによれば、昭和五一年四月一七日以前の相当な時期に幸子が手術を受けていれば、相当期間、場合によつては、五年近くにわたつて幸子が生存しえたことを推認しうるというべく、被告の前示(一)の不履行のため、幸子は、専門医による精密検査を受ける機会を失い、その結果、相当な時期における胃ガンの発見及び手術の機会を逸し、死期を早められたものと認めることができる。したがつて、被告は原告らに対し、幸子の死期を早めたことによる後記損害を賠償すべき義務がある。

六損害

幸子が前記のとおり死期を早められたことにより精神的苦痛を被つたことはいうまでもなく、しかもその期間が、生命の貴重さに鑑みれば、到底短期間とはいえないところからすれば、右苦痛もそれだけ甚大であるということができる。

のみならず、患者としては、仮に死が免れないとしても医師に対し、現代の医療水準に照らして、適切かつ十分な治療を期待するのはあまりにも当然であり、右期待が医師の義務違反により裏切られ、天寿を全うすることなく死亡するに至つた場合、患者が被るであろう失望と苦痛は、察するにあまりあるところであるうえ、本件においては、前記のとおり、被告の義務不履行が一点にとどまらず、しかもそれが必ずしも軽微な過誤とはいいがたいこともあり、これらはいずれも幸子の慰謝料額算定上十分斟酌されなければならない。

以上の事情並びに幸子の年令(死亡時三三歳)、境遇(夫及び昭和四七年五月二二日生の長女)その他本件にあらわれた一切の事情を総合考慮すると、幸子の慰謝料を金三〇〇万円と算定するのを相当と認める。

しかして、原告勝彦は幸子の夫であり、同須美礼は、その間の子であるから、昭和五五年法律第五一号による改正前の民法九〇〇条により、右金三〇〇万円のうち、原告勝彦は金一〇〇万円を、同須美礼は金二〇〇万円を相続したものである。

また、被告が負担すべき弁護士費用は、右各認容額の各一割である金一〇万円(原告勝彦分)及び金二〇万円(同須美礼分)をもつてそれぞれ相当と認める。

抗弁については、被告本人の供述のうちこれに副う部分は措信できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。<以下、省略>

(大見鈴次 久保眞人 近下秀明)

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